ブラジル

ブラジル:サンパウロ

日下野 良武(くさかの よしたけ)

◎職業;ジャーナリスト、ブラジル文化研究家
◎居住都市;サンパウロ市(ブラジル国)

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船上で出会った西村さん夫妻

船上で出会った西村さん夫妻

 日本の客船『ぱしふぃっく びいなす』(26,594トン)が西回り世界一周でアジア、南アフリカ、ブラジルを訪問後、現在アルゼンチン沖を南下航行中だ。筆者はブラジル事情講話のためケープタウンからサントスまで15日間乗船した。


 南極越冬を2度経験、帯広でも講演した札幌市厚別区在住の“南極料理人”の西村 淳さん(62)も、みゆき夫人と共に同船の講話者の立場で区間乗船していた。一部の船客がオプショナルツアーで2月下旬に南極を訪問するからだ。


 西村さんは運輸省(現国土交通省)管轄の海上保安学校を卒業後、稚内で350トンの巡視船に乗る。『さろべつ』(5千トン)などにも乗船し、37年間、網走、紋別や舞鶴など日本各地で任務に就いた。「引っ越しは24回」と笑う。小樽で勤務中に転機を迎える。「南極観測隊の試験を受けた人が身体検査で不合格になり、自分に声が掛かってきた。チャンスと思って引き受けた。業務命令だったが、せっかくの機会だから徹底的に楽しもうと思った」という。


 89年11月、越冬隊の一員として晴海埠頭で『しらせ』(1万2千トン)に乗船、南極へ。36歳だった。6人の隊員が1年4か月間、越冬した。7年後に再び越冬隊員に。「オーロラも数多く見た。最高温度ー35℃、最低がー79・8℃の世界です。調理では特別に気を使った。過酷な毎日の中で、隊員の食べる時間だけは娑婆の世界に戻してやりたかった」と、淡々と語る。


 57歳で退職。その後、東京・有楽町でドイツ料理店の経営を手掛ける。本も9冊出した。帯広市の『CINEとかち』で「南極料理人」上映の際に講演した。「帯広は元気がある。訪問するたびに好きになる。六花亭のお菓子が懐かしい」と話す。みゆき夫人は高校時代の同級生。「家での朝昼晩の料理は主人が作る」そうだ。


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