
事件が起こって以来、マスコミによる事件の報道は凄まじい量でした。ある新聞社は裁判終了後に、これまでこんなに一面トップで報道しましたよ、という記事が。
2014年の南アでは、恋人の射殺事件を起こしたブレードランナーこと、オスカー・ピストリウスの裁判が大きな話題でした。
3月に始まった裁判は、ようやく10月に判決が出ました。裁判では、射殺が意図的であったか否かについて、検察側と弁護側が激しく争い、殺人罪が適用されるかどうかが最大のポイントでした。結果、判決は、殺人罪には問われず、過失殺人として懲役5年が言い渡され、一連の裁判は幕を閉じました。ただし、懲役5年と言っても、南アの法律では、刑期の6分の1が過ぎれば、刑務所から自宅監禁へ申請することが可能なので、ピストリウスの場合は10か月の刑務所生活を終えて自宅へ戻るというのが大筋の見方です。

射殺された恋人の両親。事件の真相がはっきりと分からないまま、一人娘を失った苦しみは、どんな言葉をかけられても癒されないのかもしれません。
判決内容については「甘すぎる」と言った世間の意見が多く、将来的に刑期を終えて社会復帰するピストリウスに対しては、厳しい人々の反応が待ち受けているものと思います。
裁判は毎回テレビ中継され、私もよく見ていましたが、裁判では、ピストリウスの激高しやすい性格や傲慢さについての証言が多くあり、“数々の困難を乗り越え、障害者であってもパラリンピックのみならずオリンピックにも出場した南アの英雄”というこれまでのパブリックイメージは見事にぶち壊されました。
人は誰しも間違いを起こす生き物で、大切なのはその後の生き方だと思います。事件前のように、スポットライトを浴びていた人生とは程遠い、暗くさみしい刑務所で年末年始を過ごすピストリウスは、何を思って年末年始を過ごすのでしょうか。
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