南アフリカ

南アフリカ:ヨハネスブルグ

及能 直子(きゅうの なおこ)

職業…会社員
居住都市…ヨハネスブルグ(南アフリカ)

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Liliesleaf farm(リリーズリーフ ファーム)の風景。右端の建物が母屋。

Liliesleaf farm(リリーズリーフ ファーム)の風景。右端の建物が母屋。

サントンは今でこそヨハネスブルグの経済の中心都市ですが、アパルトヘイト時代の中心地はHillbrow(ヒルブロウ)という地域でした。現在、ヒルブロウーサントン間は車で30分ほどの距離ですが、車や道路事情が異なった当時は、サントンは農場が広がる田舎だったそうです。ちなみに、ヒルブロウは現在はギャングの本拠地で麻薬販売の温床でもあり、治安が極度に悪い地域です。アパルトヘイト時代は白人居住区で、「昔はよくヒルブロウのクラブで朝まで踊ったのよ~今では考えられないけどね。」という白人のおばさんの話を聞いたことがあります。


建物内の展示の様子

建物内の展示の様子

サントン北部のリボニアというエリアには、マンデラ元大統領がアパルトヘイト闘争に立ち向かっていた時代、秘密裏に武力抗争作戦を練っていた農場があります。Liliesleaf farm (リリーズリーフ ファーム)という農場です。

マンデラ氏と言えば、「平和的(非暴力)にアパルトヘイトを終わらせた人物」として知られていますが、実は若いころは武闘派であり、国際的にはテロリストとして認識されていた人物です。1961年頃から、ANC(アフリカ民族議会ー当時は非合法組織。マンデラ大統領が誕生した1994年以降から現在にわたって南ア政府の与党)の武闘派軍事組織のリーダーとして奔走しており、当時の白人政権・警察にばれないよう、この農場で仲間たちと作戦を練っていました。農場では、マンデラ氏は偽名を使い、青いつなぎをまとい、農場の作業員として身を隠していました。

1963年7月11日、白人警察により農場の家宅捜索が行われました。ゲリラ戦の計画に関する書類が発見されたことで、マンデラ氏を含むANCのリーダー達が逮捕され、マンデラ氏(彼は他の場所で逮捕された)達はその後、通称リボニア裁判と言われる裁判によって、国家反逆罪で終身刑を言い渡され、ロベン島の刑務所に送られることになったのです。マンデラ氏は1990年に釈放されるまで、27年間の刑務所生活を送ることになりましたが、そのきっかけがこの農場の家宅捜索だったのです。


マンデラ氏が生活していた部屋。4−5畳ほどの小さな部屋です。

マンデラ氏が生活していた部屋。4−5畳ほどの小さな部屋です。

現在、農場は、当時の建物がそのままの姿で残されており、建物内は博物館となっています。マンデラ氏や仲間たちがここに身を隠すことができたのは、ANCと同様、当時は非合法組織であった共産党員たちのサポートがありました。農場のオーナーも、白人の共産党員でした。


母屋裏側にある、石炭貯蔵庫。ここに隠されていたゲリラ戦計画に関する書類が証拠となり、マンデラ氏らは終身刑となりました。

母屋裏側にある、石炭貯蔵庫。ここに隠されていたゲリラ戦計画に関する書類が証拠となり、マンデラ氏らは終身刑となりました。

農場内の展示物で、一番印象に残ったのは、当時、警察官として家宅捜索に乗り込んだ白人警察官の回顧録です。2000年代前半に行われたインタビューが映像で展示されていたのですが、「家宅捜索後で発見された書類の検証過程で分かったのは、彼らは国家転覆をはかろうとしたわけではなく、ただ純粋に、人種差別撤廃のために戦っていたのだ」という内容の言葉でした。この警察官は、当時は立場上、彼らの考えを理解する側にはいられませんでしたが、アパルトヘイト時代は白人であるというだけで恩恵を受け、守られて生きていた白人の中にも、口には出さなくても、何が間違っていて、何が正しいかを分かっていた人も多かったのではないかと思います。


サファリツアー用のトラック。仲間たちでサファリツアーの会社を立ち上げ、あくまでも旅行会社として通常営業し、顧客を乗せて国内外を行き来していました。そのたびに、国外から銃などの武器を密輸し、武力闘争に備えていたのでした。

サファリツアー用のトラック。仲間たちでサファリツアーの会社を立ち上げ、あくまでも旅行会社として通常営業し、顧客を乗せて国内外を行き来していました。そのたびに、国外から銃などの武器を密輸し、武力闘争に備えていたのでした。


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  • 1 コメント

1 - Comments

道下より:

2014 年 01 月 23 日 16:55:45

闘争時代の若きマンデラ氏のテレビインタビューを見ましたが、撤廃運動に掛ける強い意志が表情に現れていました。まさにその頃にいた場所だったのでしょうね。

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