ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

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ロシアの雑貨類を販売するブース

ロシアの雑貨類を販売するブース

 世界各国の移民が暮らして来たブラジル・サンパウロ。現在は国を問わず一世移民は減少しているものの、その子孫たちはブラジルに溶け込み、社会の様々な分野で活躍しています。

 そんな移民の足跡を感じさせる様々な国の移民フェイラ(青空市)がサンパウロでは毎年定期的に開催されています。その代表的な移民祭りにサンパウロの日本祭りが挙げられますが、他にもイタリア、ドイツ、韓国、ボリビアなど、古今の移民の存在を感じさせるフェイラが開催されています。

 そんな移民フェイラの一つに東ヨーロッパのフェイラがあります。


東ヨーロッパフェイラの案内板

東ヨーロッパフェイラの案内板

 東ヨーロッパフェイラは、近年、サンパウロ市内の比較的落ち着いたビラ・プルデンテ地区の一角で、毎月一回開催されています。2008年から地域の住民協会AMOVISAが中心になって運営しています。

 20前後の屋台が並ぶ合間に、ロシア、ベラルーシ、ウクライナ、リトアニア、ブルガリア、ハンガリー、クロアチアなどの国旗や国名が目につき、それぞれを覗いてみると、各国由来の雑貨や食べ物が販売されています。販売しているのはたいてい各国の移民かその子孫です。

 ロシアブースではマトリョーシカや冬のミンクの帽子、ウクライナブースでは伝統的な模様がデザインされた食器など、各地の工芸品が小規模ですが展示販売されています。


リトアニアの工芸品を販売するブース

リトアニアの工芸品を販売するブース

 19世紀前半から20世紀後半にかけて、ブラジルには世界100カ国以上から移民が到着しました。ブラジル地理統計院の公式記録によると、1820年から1975年にかけて560万人以上が到着しています。

 代表的なのはブラジル植民地時代の宗主国ポルトガル、そしてイタリア、スペイン、ドイツ、日本、中東からの移民で、他に多数ではありませんが、中東欧からの移民も到着しました。中東欧の移民した主な要因第一次世界大戦とロシア革命の影響で、第二次世界大戦後には満州に暮らしていたロシア人もブラジルに移民してくるケースがありました。


クロアチアのお菓子を販売するブース

クロアチアのお菓子を販売するブース

 中東欧の移民はサンパウロに来ると同フェイラが開催されている地域に集住するようになりました。しかし、スラブ人移民は第二次世界大戦前後には共産主義者と疑われ、州の政治警察の監視やブラジルでの迫害を避けるため、長らく目立った活動は控えて来ました。苗字もリトアニア語とポーランド語の姓の接尾辞に変更するなど、ひっそりと生活する時代が続いていました。

 過去の暗い歴史は過ぎ去り、現在ではロシアの文豪プーキシンの名前を冠した広場などが設けられるなど、日向で東欧文化をアピールできる時代になりました。

 世界中の様々な伝統文化やスピリットが混在して、今もサンパウロは発展し続けているんだろうなと思い巡らせられる東ヨーロッパフェイラです。


イワシの酢漬けを販売するリトアニア移民

イワシの酢漬けを販売するリトアニア移民


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