ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

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「陶芸の町」のパイオニア請関美重子さん

「陶芸の町」のパイオニア請関美重子さん

 サンパウロ州クーニャ市は、「陶芸の町」として知られています。町をそのように発展させたパイオニアが、実は日本人女性たちです。

 同市の名誉市民でもある請関(うけぜき)美重子さん(71)=三重県出身=と末永公子さん(68)=神奈川県出身=は、日本式の登り窯を有するアトリエをクーニャに構え、日々制作に打ち込みながら、アトリエを訪れる人々に日本の陶芸文化を紹介しています。

 クーニャに多くの観光客が訪れるようになったのはこの20年くらいで、約40年前までは、サンパウロ州では2番目の市面積を有する自然豊かな土地でありながら、これといった産業もない山村でした。その街おこしにと、当時の市長が請関さん夫婦とその友人のポルトガル人陶芸家アルベルト・シトラエスさんを招致し、最初の窯元が開かれ「陶芸の町」の礎が築かれました。


「陶芸の町」のパイオニア末永公子さん

「陶芸の町」のパイオニア末永公子さん

 パイオニアの一人、請関さんは、福岡県の小石原焼で陶芸を学び、その時、同地に修業に来たアルベルトさんの勧めで、1975年にブラジルに移住しました。

 「当初は誰もアトリエに来る人はおらず、ポルトガル語も全くできない状況で、数年間は慣れない生活が続きました。それでもクーニャの生活が気に入り、ここで陶芸を続けてきました」
 
 美重子さんは自らリオやサンパウロの大都市に作品の紹介・販売に出かけ、そのひたむきな姿は次第に人々の間で知られるようになりました。


末永さんのアトリエ内

末永さんのアトリエ内

 末永さんは、茨城県の笠間や福岡県で陶芸を学んでいました。その間、日本に陶芸を学びに来ていたブラジル人のご主人と知り合い結婚。日本でもガス窯でアトリエを開いていましたが、やはり大自然の中で登り窯を作って陶芸をしたいという思いから、土地の取得などで敷居の高い日本よりは、ブラジルでの可能性に懸けて1985年にクーニャでアトリエを開きました。
 
 「日本の陶芸技術は最高です。しかし、ブラジルの方が登り窯を設置できる広い土地が得やすく、油分が多くまきに最適なユーカリも簡単に手に入ります。アトリエでは共同作業が必要ですが、手伝ってくれる人材も確保しやすいのもブラジルのメリットです。日本では情報が多く手に入る半面、周囲の影響を受けやすく、自由に創作しやすいのもブラジルの魅力です。ただ、原料の入手、例えば土を注文すれば、日本は簡単に高品質のものが得られますが、ブラジルは毎回品質などが違う等、一筋縄でいかないこともあります」

 アトリエ創設から約40年。今、美重子さんと公子さんのアトリエには多くの訪問客が訪れます。ブラジルで珍しい日本の登り窯を拝見しに来る人たちに、丁寧にお話しする美重子さんと公子さんの凛とした姿が印象的です。


末永さんのアトリエを訪れるお客さんたち

末永さんのアトリエを訪れるお客さんたち

 サンパウロ市からは車で約3時間半の山腹にあるクーニャ。個人で訪れるには少し訪ねにくい場所です。それでも、「陶芸の町のパイオニア日本人女性とそのアトリエはブラジルにいるなら必見」ということで、サンパウロ市内では毎年日帰りツアーを開催している旅行社トレンディー・ツーリズモがあります。今年の参加者の中には、小石原焼の産地に近い出身の方もおり、美重子さんの作風に見る小石原風に「ブラジルでまさか小石原焼で出合えるとは!」と感動し、早速日本のご家族に写真メールを送るような場面もありました。

 クーニャで登り窯を有するアトリエは、請関さんと末永さんだけですが、請関さんがアトリエを設置して以降、イタリアやポルトガルなど、ヨーロッパの陶磁器のアトリエやアーチストも集まるようになり、個性的なレストランもオープンしています。毎年10月頃には「窯開き」が、クーニャの名物イベントにもなっています。


請関美重子さんのアトリエの一部

請関美重子さんのアトリエの一部


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