フランス

フランス:パリ

別紙 敦子(べっし あつこ)

氏名=別紙敦子
職業=観光業
居住都市=パリ(フランス)とバルセロナ(スペイン)年間1:2の割合で、行き来しています。

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元カタルーニャ首相クンパニスの記念碑の「ハンカチ」

元カタルーニャ首相クンパニスの記念碑の「ハンカチ」

日本のニュースでも話題になりましたので、ご存知の方もいるかと思いますが、
先月9月に、スペイン東部の街バルセロナを中心としたカタルーニャ地方で 大きなデモがありました。百万人以上がスペインからの独立を主張し、広場に集まったと報道されただけあり、大騒動でした。
数多くのヘリコプターも一日中、空から警備していて その音を聞いているだけでも物々しい雰囲気に包まれていました。


ルュイス・クンパニスは1940年に銃殺刑に処された。

ルュイス・クンパニスは1940年に銃殺刑に処された。

そして、先週10月15日、カタルーニャ大統領だったルイス・コンパニスの記念碑(1998年に作られたリュイス・クンパニス遊歩道の凱旋門近く)の前に人々が集まっていました。
フランスに亡命中、ゲシュタポに逮捕された彼は、1940年バルセロナに送還され、簡単な軍事裁判により、1940年の10月15日、即時死刑となったのです。罪名は「反逆罪」です。
全スペインで民主右派を無くしてしまい、総裁としての絶対的な権力に国を服従させようとするフランコの独裁政治は、この地方の規定された政治や文化の要素の全てを迫害し、破壊するものであったのです。


毎年10月15日、人々は献花し、そこで カタルーニャの国歌を歌います。

毎年10月15日、人々は献花し、そこで カタルーニャの国歌を歌います。

処刑される時にルイス・コンパニスは目隠しされるのを断り、無実の人間を殺せ。カタルーニャのために!我々は苛まれても、再び打ち勝つのだ!(Assessineu un home honrat. Per Catalunya! Tornarem a sofrir, tornarem a vencer!)と死ぬ前に言ったそうです。

彼の生前に、直々にハンカチを受け取った当時15歳だった少女が、来ていました。
そして、記念碑にも、ハンカチを持ち悲しそうにしている女性の姿が有りました。


この像のモデルの少女だった、92歳のセニョーラ。

この像のモデルの少女だった、92歳のセニョーラ。

この地方の人々にとって忘れがたい 彼の言葉が、歌声から聴こえてきて悲しかったです。
「独立」と言う言葉が、あまりにも身近にあるのを ひしひしと感じる日でした。



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1 - Comments

道下より:

2014 年 11 月 01 日 15:55:42

独立問題は日本でも関心が高まっていました。この地方にはそんな歴史があったんですね。

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