ブラジル

ブラジル:サンパウロ

日下野 良武(くさかの よしたけ)

◎職業;ジャーナリスト、ブラジル文化研究家
◎居住都市;サンパウロ市(ブラジル国)

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ブラジル日本移民史料館所蔵の「笠戸丸」の模型(サンパウロ市東洋人街のブラジル日本文化福祉協会内)

ブラジル日本移民史料館所蔵の「笠戸丸」の模型(サンパウロ市東洋人街のブラジル日本文化福祉協会内)

 北原ミレイが歌ってヒットした『石狩挽歌』の歌詞にも出てくる船『笠戸丸』。1908年6月、ブラジル日本契約移民781人を乗せてサントス港に着いた第1回移民船だ。当地の有力紙『フォーリャ・デ・サンパウロ』は、2月28日付で「沈没した同船の船体一部をロシアとブラジルが共同で海底から引き揚げる計画」と報道した。


 記事を読み進むと、「在伯ロシア大使館とパラナ州政府との会談が2011年に始まり、ロシア地理学会と伯国パラナ州技術環境院が今年1月に調印。相互協力で実態調査を開始し、5月にベースキャンプ地などの準備、8月の夏場に錨、鐘、舵など部品を中心に引き揚げる」とあり、「部品は今年末にパラナ州のクリチーバ市外港のパラナグァ港に届く予定。展示はパラナ州やサンパウロ州、出港地の神戸などで…」と、続いている。


 引き揚げ構想は、日本移民100周年に当たる2008年より前の1990年ごろからパラナ州選出の日系連邦下院議員らによって話が起こっていた。しかし、その後は立ち消えになっていた。


 『笠戸丸』は1900年にイギリスの造船所で進水した約6000トンの船。旧名は当初『ポトシ』で、その後、ロシア船籍の『カザン』になり、1900年初頭に日本が戦利品として?捕獲?。1905年、現在の船名になったとされる。移民船や病院船、漁業工船など数奇の運命を辿り1945年、ソ連の爆撃を受け、カムチャッカ沖で沈没、45年の歴史を終えた。関係資料によると、「同船は船全体が隠れる程度で浅瀬に座礁」の状態で沈んでおり、部品の一部に限れば引き揚げは可能のようだ。


 『笠戸丸』が撃沈された当時は日本所有の船だった。なぜか、日本側に計画を持ち掛けなかった。ブラジル日本移民の歴史で永遠に忘れられない船の引き揚げが実現するかどうか、注目したい。


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タグ:サンパウロ

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