ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

前の月へ

2024.5

次の月へ
S M T W T F S
   1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

今回の同窓会に参加したブラジル帯畜大同窓生

今回の同窓会に参加したブラジル帯畜大同窓生

 「パンデミック以降、3年ぶりに皆で集まれて何よりです。これからもお互い長生きしましょう」と、ブラジル帯畜大同窓会代表の飯崎貞夫さん(1965年卒、北海道音更町)の乾杯音頭で始まった同窓会が、9月16日、サンパウロ市内のホテルで開催されました。

 今回集まったのは、ブラジル全土に暮らす同窓生8人とその家族約20名。

 「年々、メンバーが1人減り、2人減りと、新たなメンバーも来なくなり寂しくなります」

と話すのは、連絡係の板垣隆さん(1984年卒、札幌市)。板垣さんがブラジルに移住した39年前には、同窓会にはいつも20名前後が参加していました。

 1973年に日本からブラジルへの船による集団移民の時代は終わり、日本が高度成長時代に入ると、飛行機でブラジルに渡り移住する日本人の若者も少しはいましたが、それは数えるほどで、帯畜大OBも同様でした。今、ブラジル帯畜大同窓生の一番の若手は青山朋義さん(1987年卒、横浜市)です。


帯畜大同窓会で乾杯

帯畜大同窓会で乾杯

 そのような中、今も元気なのが新制の帯畜大一期生(1953年卒)の永田直春さん(神奈川県小田原市)と井田義郎さん(東京都)。二人は68年前、25歳の時にアメリカ丸で一緒にブラジルに移民しました。
 
 「当時の日本はまだ戦後で貧しくて良い仕事もなくてね。永田さんにブラジルへ一緒に行こうと誘われてやってきました」と話す井田さん(マトグロッソ州在住)。

 「今は寮に入りたいという人も減ったが、大学の寮が帯畜大の魅力でした。8人一部屋で皆と暮らしたのが懐かしい」と学生時代の思い出を振り返ります。


永田直春さん(左)と井田義郎さん

永田直春さん(左)と井田義郎さん

 井田さんは、孫たちやブラジル人に自分がブラジルに来た時から今までの話を説明するために、神戸港を出港した時の船に自らが写った写真などをいつも持ち歩いています。

 「本当に船の周りを多くの人に囲まれて見送られてね。この一番右の写真が私です」
と、昨日のことのように目を輝かせながら話します。


井田義郎さん(写真一番右)が神戸港を出発する時の写真

井田義郎さん(写真一番右)が神戸港を出発する時の写真

 ご子息と一緒に参加された永田さんは学生時代、公募された新制帯畜大の校歌の歌詞を書いて入選し、今日まで同校の校歌として受け継がれています。永田さんの詩才はブラジルに移民後も発揮され、サンパウロ市の日系社会のリベルダーデ音頭の作詞者としてもよく知られています。

 ご子息がiフォンに保存した永田さんの学生時代の写真とエピソードの掲載された画面を開き、70年以上前の父親の姿を誇らしく見つめられていました。

 人数は少なくなっても、アットホームなブラジル帯畜大同窓会のひと時を皆で楽しまれました。今回の参加者は以下の通り(敬称略)

永田直春さん(神奈川県小田原市)、井田義郎さん(東京都)、故・小笠原義元さん夫人・泰子さん(1957年卒、北海道当麻町)飯崎貞夫さん(1965年卒、北海道音更町)、青山明政さん(1971年卒、愛知県)、山崎孝志さん(1979年卒、愛媛県)、大浦格さん(1982年卒、札幌市)、板垣隆さん(1984年卒、札幌市)


iフォンに保存された永田直春さんが作詞した帯畜大校歌が入賞した時のエピソード

iフォンに保存された永田直春さんが作詞した帯畜大校歌が入賞した時のエピソード


レポーター「大浦 智子」の最近の記事

「ブラジル」の他の記事

  • 345 ビュー
  • 0 コメント

0 - Comments

Add your comments

サイト内検索

Name(required)

Mail(will not be published)

Website

Archives