オランダ

オランダ:ハーレム

倉田 直子(くらた なおこ)

職業…ライター
居住都市…ハーレム(オランダ)

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リビアのニュースが日本でも報道されております。
私は、リビア時間2月21日(月)夕方に出国し、日本時間22日(火)午後8時に成田に到着しました。

夫も揃って、家族全員で帰国できました。

「当時のリビアの様子を教えて欲しい」という声がいろいろなところから来ているので、順を追ってご報告させていただきますね。

ただ、なるべく政治的なものに対する意見は控え、飽くまでも私が経験したことのリポートという形式にしたいと思います。

●2月上旬
夫が2月19日から26日にリビア南西部で開催される砂漠マラソン『リビアンチャレンジ』に参加することが決まり、エジプトが不安定なこともあり、
「夫の不在時に外国に逃げる必要があるかもしれないから、念のため…」と軽い気持ちで出国ビザを取得。

私は夫の会社のビザ担当者を知らないし、自分で手続きするの面倒だし、くらいの軽い気持ちでした。
(リビアは、居住ビザ所持者は出国にもビザが必要)

●2月17日(木)
トリポリでも反政府デモが起こると言われていた日。
夫は普通に出勤。
娘の保育園は、休園に。
私と娘は、念のため一日中家で過ごす。
お昼ころから、ツイッターが閲覧できなくなる。
ネットも、非常に遅い。しかもよく切れる。
帰宅した夫の話では、「スーパーは営業していたけど、走っているクルマも少ないし、人も全然いない」とのこと。

ちょうどこの日、出国ビザを貼付されたパスポートを受け取る。

●2月18日(金)
リビアでは、週末の休日(金土が週末)。
同様に、一日中家で過ごす。
夫は、翌日(19日)にリビアンチャレンジに出発する予定だったので、荷づくりにかかりきり。
にもかかわらず、午後10時ころに大会中止の連絡がある。

失意のまま就寝。
夜中1時ころ、「花火?銃声?」という音を聞く。

●2月19日(土)
夫の予定が変わって家に居たので、徒歩10分くらいのところにあるスーパーマーケットに家族で散歩がてら出かける。
生鮮食品なども普通に扱っていた。
そして他に買い物客も多く、女性もいた。
帰り道、リビア人の女性が一人で歩いているところも見かけた。
「やっぱり、地元の人はそんなに警戒していないんだな」
という印象を受ける。

●2月20日(日)
リビアでは、一週間(平日)の始まり。
夫は、普通に出勤。

8時ころ、娘の保育園の先生から「今日は、登園する?」という確認のSMS(ショートメッセージ)を受信。
「行く」と伝え、送り迎えも依頼(いつもお願いしています)。
9時にお迎えが来て、娘が登園。

11時ころ、近々帰任予定の奥様と電話で話す。
「明日あたり、お茶しませんか?」みたいな呑気な話題。
その方はここ数日、携帯でSMSが送信できないと言っていた。

電話の直後の11時30分頃、夫から着信。
「はて?何かしら…」
と思いながら出ると、
「会社から、外国人は一時避難の指令が出た!」
という夫の声。
「ええっ、そうなんだ…。いつ?来週あたり?」←平和ボケ

「そんなんじゃないよ!もう一番早くとれるフライト!
明日かもしれない。荷物準備しておいて!」

時計を見て、娘の帰宅時間まで1時間半しかないことを確認する。

娘がいたら、邪魔されて荷物がまとめられないと思い、夕食の準備を中断して、慌てて荷物の準備開始。

そして、会社から避難命令が出たことを、在トリポリの女性たちにSMSする。
(みなさん会社は違いますが、助け合って情報を共有しています)

すると、返信や電話で「我々も準備中」と言ってくる方も。
そうか、みんなもしもに備えていたんだ…。偉いなぁ。
ちなみに、SMSが送れなくなったと言った方も数名。

1時ころ、娘が先生(若い女性)のクルマで帰宅。

「帰国命令が出たからしばらく休む」
と言うと、少し驚いたが、納得していた。

この先生も、この日は普段載せていない自分の妹をクルマに(行き帰りともに)載せていた。
きっと、もしもの時のためなんだろう。

引き続き、荷物の準備。
窓の外から、近所の子供がボールで遊んでいる音が聞こえる。
本当に?こんなに穏やかな昼下がりなのに、本当に避難しなきゃいけないの?

3時前に、夫が帰宅。
「娘、無事だったんだ!良かった!
この後、何かガルガリッシュ通りで起こるかもしれないらしい」
とのこと。

会社の上層部も、トリポリも危なくなると判断して、避難を決定したらしい。

その直後、会社のスタッフから「明日午後のカタール航空が取れた。
でも他の人の分も手配しなくてはいけないので、家まで届けられない。
明日迎えに行くドライバーに持たせるから、ゲストハウスに送っておく」
との連絡あり。

※ゲストハウスとは、夫の会社の短期出張者や
 家が決まっていない新任者の仮住まいとして
 使っている、社員専用のホテル。
 ドライバーの詰め所でもある。

でも詳しい時間などを教えてもらえなかったので、ネットで調べようとしたが、ネットが切れる&遅いでなかなかHPが開けず。

ゲストハウスに電話しようとしても、そこの固定電話が使えない状態に。
恐らく、街の電話線を切られたんだろうと推測。

でも、携帯同士ならまだ通話が可能だったので、事前に、同じく明日カタール航空で帰国すると聞いていた方に電話で時間を確認。

夜9時ころ、突然家のチャイムが鳴る。
我が家の大家さんの娘婿で、夫の会社の社員でもあるリビア人が訪ねてきた。
「うちの妻のクルマ、普段は外に路上駐車しているんだけど、壊されたら怖いから、君の家の駐車スペースを1台分貸して」
と言われる。
大家さんの親戚なので、我が家のスペースが余っていることを知っていたようです。
夫は、もちろん快諾。
でも、我が家のクルマを奥に入れてしまったので、緊急事態でもクルマで逃げることはできないんだよな…。

その夜、花火と銃声が入り混じった音がずっと聞こえた。

すみません、予想外に長くなったので、続きはまた別途書きます。


まだ平和だった頃

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