オーストラリアで迎える「最期の時」 その2
2013.06.19 up
家に届けられるお花 方法は違っても故人を偲ぶ気持ちは同じです
知り合いが亡くなった後、お葬式までの出来事は何から何まで日本とは大きく異なり、戸惑うことばかりでした。
知り合いのご遺体は、病院から直接葬儀会社が引き取り、家に戻ってくることはありませんでした。お葬式は亡くなった日から数えて6日目に決まり、私たちはそこで故人と再会することになります。また、火葬か土葬かを選ぶことができます。
お葬式での服装は自由。中には真っ白や真っ赤な服を着ている人もいました。でも誰も気にしません。驚いたのは私一人だけです。
会場で棺に眠る故人と最期のお別れをすませると、参列者は故人を偲ぶために持ち寄られたアルバムを広げつつ、歓談が始まりました。時おり笑い声も聞こえて、なんだか楽しそうな雰囲気です。
そんな彼らの後ろで、棺の蓋は静かに閉められました。葬儀会社の人と私以外、誰も気づかない間の出来事でした。
それでお葬式はおしまいです。時間にして1時間程でした。火葬にも立ち会いません。あまりにシンプルで、拍子抜けするほどです。
もちろんそれぞれの家によって、やり方も異なるでしょう。でも、ひとつだけ気づいたことがあります。それは、彼らにとって大切なのは立派なお葬式を出すことよりも、亡くなるまでの時間をいかに充実させるか。最期の時を家族と語りながら過ごすことこそ、お葬式を超えるセレモニーだったのでしょう。
自分は最期の時をどんな風に迎えたいだろう?
今回の体験を通し、自分の中にそんな問いが生まれました。まだ先のことではありますが。
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