ブラジル

ブラジル:サンパウロ

大浦 智子(おおうら ともこ)

職業…フリーランス
居住都市…ブラジル国サンパウロ市

前の月へ

2024.4

次の月へ
S M T W T F S
 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30     

ポルトガルのアヴェイロの銘菓オーヴォス・モーレス・アヴェイロ

ポルトガルのアヴェイロの銘菓オーヴォス・モーレス・アヴェイロ

 「この食感はどうも日本の最中を思い出す!」
 
 そんなお菓子がポルトガルにあります。ポルトガルのアヴェイロの銘菓で、お土産におススメされているオーヴォス・モーレス・アヴェイロ(アヴェイロの軟らかい卵という意味)です。

 2枚の薄い皮を合わせた中には、卵の黄身そのものを思わせる黄色い甘い黄身あんが詰められ、食感は最中に似ています。


オーヴォス・モーレス・アヴェイロの菓子箱

オーヴォス・モーレス・アヴェイロの菓子箱

 ポルトガル人とその子孫は、16世紀の植民地時代から今日に至るまで、サンパウロはもちろん、ブラジル各地に多く暮らしてきました。サンパウロではおいしいポルトガル菓子やポルトガル菓子店が身近にあります。

 昨今は気軽な海外旅行としてブラジルからポルトガルに行く人も少なくなく、ワインとともに、アヴェイロでは現地で薦められるお土産にこのもなかを思わせるお菓子があります。

 カステラ、コンペイトー、ボーロなど、日本では大航海時代に到着したポルトガル人が、日本のお菓子のルーツとなる新しい食文化をもたらしたのはよく知られています。

 ポルトガルに行けば、日本のお菓子のルーツを感じられる砂糖菓子に出合えるのは想像がつきますが、意外にも、歴史の必然としてブラジルでもそのようなお菓子に出合える今日です。


オーヴォス・モーレス・アヴェイロの菓子箱

オーヴォス・モーレス・アヴェイロの菓子箱

 ブラジルでは16世紀からヨーロッパ向けの砂糖が生産され、17世紀にはその貿易が植民地経済を支えていました。宗主国ポルトガルはそれまで高価だった砂糖がヨーロッパでも最初に入手できる立場にあり、修道院を中心にお菓子が作られていました。

 ブラジルからもたらされた砂糖でポルトガルのお菓子文化が花開き、日本にも16世紀以降、ポルトガル人によって現代の日本のお菓子のルーツとなるお菓子がもたらされたともいうことができます。

 最中のルーツがオーヴォス・モーレス・アヴェイロとは断定できませんが、オーヴォス・モーレス・アヴェイロには1502年からと表記されています。少なくても日本よりは先に最中のようなお菓子があったと言えます。

 もなかの意味を調べるてみると、
 “(形が「もなかの月(陰暦十五夜の月。満月)」に似ているからという)和菓子の一つ。もち米の粉をこねて薄く伸ばし、丸く切って焼いて皮とし、これを2片合わせた中にあんを詰めたもの。”(「広辞苑」、岩波書店より)とあります。

 オーヴォス・モーレス・アヴェイロを半分に切ると、まさに黄色いお月さまのイメージをしたあんが顔を出します。中秋の名月にふさわしい色合いです。

 今の日本では一般に小豆や豆類で作られたあんがもなかに詰められていますが、辞書の意味から言っても、黄身あんの方が似あっている気もします。かつて卵は高価だったため、入手しやすい小豆にあんが取って代わったのかもしれません。

 真相はともかく、ブラジルにいながらポルトガル菓子と和菓子がふと結びつき、植民地ブラジルに支えらていたポルトガルの人や文化が、大航海時代に日本まで到着した歴史に思いをはせられます。


ポルトガル菓子店で販売されているカステラのルーツと言われるポン・デ・ローの一種

ポルトガル菓子店で販売されているカステラのルーツと言われるポン・デ・ローの一種



レポーター「大浦 智子」の最近の記事

「ブラジル」の他の記事

0 - Comments

Add your comments

サイト内検索

Name(required)

Mail(will not be published)

Website

Archives